ゲーム制作に真面目に向き合えば向き合うほど、厄介だなぁと思わされる。それに比べて、実用ソフトのなんと楽なことか。だって、楽しませることを考えなくてもいいのだから。

 実用ソフトの制作にのめり込んだら全く逆のことを言うのかも知れないけれど、ゲーム中心に考えてる限りはどうしても考えてしまうところ。と言うか、そもそもゲームってのは何が面白いんだろう。ゲーム性ってなんなのさ。

 プログラムの一行、イラストの一筆、作曲時の一音、どれだってそれがそこにある理由を(それなりには)説明出来るのに、ゲーム性についてだけは何一つ自信を持って答えられる気がしない。

 ところで、私は現実世界は嫌いだけど、ふとした現実世界の色々なものが幻想世界への入口に見えてしまうくらい、現実世界に不慣れだ。見るもの一つ一つ、よく出来てるなと感心しながら毎日生きてる。影の付き方、光の反射を見る度に、この世界の演算装置の高性能さにため息つきながら道を歩いてる。

 つまるところ、私に私が楽しいと思うゲームを作らせると、そこらへんに落ちてるなんの変哲も無い小石一つ一つにやたらめったら心血を注いだものになる。主人公がたまたま拾ったある石は、何千年前にどこやらの火山が噴火したときに近くの川に落ちた岩の一部で、表面にうっすら見える傷の跡は、百年前の大戦争の際に流れ矢が当たって出来たもので、その矢は今は失われた技術で作られた魔法の金属からなっていて、それが石にもごくわずかながら付着していたおかげで、主人公は魔物の攻撃から、数字にして0.1のダメージを軽減することが出来た。が、着ていた服が、たまたま服屋の職人が娘の結婚式に出るためにやっつけ仕事で作った服だったので、一部縫い目が若干粗雑で、偶然そこに魔物の攻撃が当たったために、0.08の余計なダメージが増えた。差し引きで0.02のダメージを軽減。もちろん主人公は服や石のことなんて知るはずも無いし、システム的にも小数点以下は表示されないから意味は皆無に等しい(*1)。と言うような。

 でも、大多数の人はそんなゲーム面白いとは思わないよね。それ以前に、ゲームかどうかが怪しくて、これはむしろシミュレーションだろうと私も思う。もちろん、ある程度の戦略性と目的を確保した上で、面白さを提供する手段としてシミュレーションを使うなら、それは立派なシミュレーションゲームなんだけれど。

 ただ、プログラミングやシミュレーションのための勉強はして来たけれど、ゲーム性についての勉強を始めたのはごく最近のこと。灯台下暗しと言うか、肝心なところを抜かしてきてしまったような気がしないでも無い。そう、灯台から海つながりであえて言えばこんな感じ。

 「準備万端、いつでも出航出来ますが船長がいません!」

 ゲームとはなんて厄介な。

 (*1)皆無に等しいだけで皆無ではないと言うところが重要。その世界に存在する全ての意味が合算される瞬間を楽しいと思い、裏で実際に膨大な数値演算が働いているところに満足するの。

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