Arch Linuxのインストールでめげたので、
Bodhi Linuxをインストールしましたの。

インストール自体は簡単だけど、日本語化が微妙に大変だったので忘れる前にメモですの。 ただ、初心者がぐちゃぐちゃやりながらやったのを、思い出してまとめただけなので、本当にこの手順で上手くいくかは不明ですの。

試してみれば早いのですけど、そこまで元気が残ってなかったのですの。
なぜなら、Arch Linuxのインストールでめげたからですの。


●手順

OSをインストール。
コンソールから、Synapticをインストール。
(apt-get install synaptic)

次に、language-pack-ja(baseも)をSynapticからインストール…のはずが、リポジトリのレアな不具合に偶然あたってしまったようなので、コンソールから。
コマンドを残してくださった方がいたので、そのまま使用ですの。

Sickly Life Blog
Ubuntu 14.04.3でlanguage-pack-jaをアップデートできないバグに対応する
http://sicklylife.hatenablog.com/entry/2015/11/11/222340


次に、フォントとIME(iBus)をインストール。これはSynapticから。
フォントはIPAのセット(fonts-ipafont)と、VineLinuxの(fonts-vlgothic)をとりあえず。
iBusは、ibusとibus-mozc(google日本語入力)を。

それからコンソールで、
sudo dpkg-reconfigure locales
を実行して、いったんOSを再起動ですの。

次に、Settings Panelから言語とキーボードを設定ですの。
デフォルトでは設定項目自体が出てこないようになっているので、
Settings > Modules でModule Settingsを開いて、LanguageとかKeyboardをLoad。

(Languageタブ)Language Settings は、
日本語 > 日本 > UTF-8 まで選択してApplyですの。
日本語とか日本までだとメニュー類が日本語化されないようですの。

ここまでで、日本語表示は出来るようになっていると思いますの。
フォントは好みだけど、ぜんぶVLフォントにしてしまいましたの。 (IPAフォントもいれたのに。。)

最後に、
(Preferencesタブ)Keyboard Input Methods の、
Input Methodタブを開いて、English(US)とJapanese-Mozcをプルダウンから選んでリストに追加ですの。

これで日本語入力が出来るようになると思いますの。
日英の切り替えは、下のメニューか、Ctrl+スペースか、半角/全角キーで出来ると思いますの。


初心者(*1)ならではの困りポイントとしては、
Synapticがメニューの二箇所から起動出来るのですけど、Preferencesじゃない方から起動すると管理者権限がつかないみたいで、パッケージを選ぶことは出来てもインストールが出来なかったところですの。
起動時にeSudoの画面が出てきてパスワードを聞かれるほうが正解(?)ですの。


●参考

Bodhi Linux 2.3.0 日本語化
http://dtybyyde5.xiagao.info/2015/10/31/bodhi-linux-2-3-0-日本語化/

高難易度・・Bodhi linux 3.1.0リリース!
http://ameblo.jp/superjeter007/entry-12071215267.html


*1) LinuxとSynapticと英語がわからない三重苦。

願いや悩みは、いつでも前提の上にありますの。

「つい嘘を付いてしまう癖を治したい」という人がいたとしますの。
それを治せるかどうかはわからないけれど、この人が「嘘をつくのは悪いこと」という前提を持っていることは、ほぼ事実ですの。

「頑張ってるのになかなか成功出来ない」という人は、「成功することは良いこと」という前提を持っているし、

「こんなにアタックしてるのに、あの人が振り向いてくれない」という人は、もちろん「あの人が振り向いてくれたら嬉しい」という前提がありますの。
・嘘をつくのは悪いこと
・成功することは良いこと
・あの人が振り向いてくれたら嬉しい 
こういう前提は大事だけれど、あまりにも大事すぎて、”超大事”みたいな、アバウトなラベルを付けて押入れにポイして忘れ去られる運命にありますの。

いくら大事といっても優先順位はあるはずなのに、忘れていれば忘れているほど、それに気がつけず、無条件に行動を縛りますの。だって超大事なんだもん。

だから、ときどきは。特に、今やっていることがうまく行っていないときには、その行動が何を前提にしているのか思い出すことで、あらためて「その前提はそこまで大事なものだっけ?」と、再検討するのも大事かなと思いますの。

その前提を守ることの利益と、そのための行動が生むデメリットを天秤にかけて、必要なら前提の方を捨ててしまってもいいのかな、と思うのですの。

ちょっとくらい嘘ついてもいいし、成功しなくてもいいし、あの人じゃなくてその人でもいいかもしれないし。

建設業界の人手不足を逆手に大流行り!文房具屋から脱皮したリノベーション企業
http://diamond.jp/articles/-/80043

言ってることはわかるけど、ものすごくもやもやしましたの。

何に引っかかったのか考えてみると、たぶんそれは、
「顧客と営業がノリノリで何かしてる」
という恐怖感でしたの。

これから書くことは、この会社がどうというよりも、そこから連想したITの世界の話ですの。だから、この会社はうまく行っていて、誰も泣いていないかもしれませんの。

さて、この嫌さを式に表すと、こうなりますの。
顧客の自由さ×営業の節操の無さ=仕事の大変さ
顧客がハッキリこれを頼むと言ってくれて(1)、
営業が過不足なくそれをまとめる場合(1)、
1×1で、仕事の大変さは最小(1)ですの。

一方、
ふわっとした頼み方をする顧客に(10)、
夢見がちな営業がついた場合(10)、
10×10で、仕事の大変さは100になりますの。

企業にとって仕事が増えるのはいいことなので、
ここまでは、本当は問題は無いのですの。本当は。

どこに嫌さが生まれるかというと、
顧客と営業(と経営者)は、上の式の掛け算のところを足し算で考えている節があることですの。
顧客の自由さ営業の節操の無さ=仕事の大変さ
この場合、
1×1=1に対して、2のコストで、
10×10=100に対して、20のコストで進めることになるので、
前者はいいとしても、後者は実作業を行う部署が死ぬことになりますの。

また、出来上がった仕事に正確性を保証する必要がある場合、大変さはさらに膨らんで、次の式のようになると思っていますの。
仕事の大変さ×仕事の大変さ=正確性を保証する大変さ
10×10=100の仕事の正確性を保証するには、
100×100=10000のコストが本来必要だということですの。

この大変さも、顧客と営業(と経営者)…つまり、実作業を行わない人たちは足し算(1.5~2倍くらい)で考えている節がありますの。

2倍で考えてもらえたとしても、40。
10000の大変さを持つ仕事を40のコストで進めるためには、
9960は不幸で埋めなくてはならないのですの。

それが
「顧客と営業がノリノリで何かしてる」
という恐怖感ですの。

言葉って大切だなって改めて思ったのですの。
北斗の拳は、けっこうそういうシーンが多くて好きですの。そう、北斗の拳。

 「北斗の拳」に学ぶ - 第12巻 P182~189 無抵抗主義の村 -
 http://nokan2000.nobody.jp/hokuto/page02.html
 画像が見やすかったから貼らせていただいただけで、特にこのページに対して何か意見があるわけでは無いですの。

このシーン、
 A:「抵抗は相手の力を生みます、力は我われ弱い者からすべてを奪うでしょう」
がよく引用されてるようなのですけど、

ここで注目したいのは、直後の、こっちの台詞ですの。
 B:「無抵抗は我われ弱者の自分を守るべき唯一の武器なのです」

Aだけなら、さすがのラオウさまも無傷では帰れなかったはずですの。

当然のことを言ってるだけで、つっこめる部分が無いからですの。
というか、言い方を変えれば「弱者は強者にすべてを奪われる」「戦いが実力を高める」と言ってるのと同じで、ラオウさまの理屈そのままですの。

でもBは違いますの。
「弱者が武器によって、自分を守ることが出来る」と言ってますの。
さらに言えば、
「この武器があれば、弱者も強者に負けない力を持てる」
と言ってるわけですの。

弱者は村人で、強者はラオウさまなので、つまりは、
ラオウさまの目の前で「俺たちはお前には負けねえ」って言ってるわけですの。
ここまで挑発されたら、ラオウさまじゃなくてもボコボコにすると思いますの。

で、じゃあどうすればよかったのかと言うと、
Bの台詞をこう言い換えたらよかったと思うのですの。

「我われ弱者は、強者にひれ伏すしかないのです」と。

たったそれだけで、村長は死ななくて済んだかもしれませんの。たぶん。
心の中とか、村人に説くときにどういう言葉を使おうが、それは自由ですの。でも、話す相手によって言葉は選ばないとトラブルになりますの。

という話ですの。

まあ、そもそも部下が困ってラオウさまを呼んだのは、「無抵抗でやりづらかった」からではなくて、「薄気味悪かった」からなので、その意味でも、軽々しく「これが理由さ!」なんて言ってしまうことは悪手だったと言えそうですの。

よくある、2chまとめサイト風の宣伝サイトのアドレスを貼りますの。
(明らかに18禁まみれなので注意ですの)

http://mato-mato.net/fam/9/1179/pc_index.php?t=%E3%80%90%E6%96%B0%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%80%91AV%E5%A5%B3%E5%84%AA%E3%81%A8%E3%82%A8%E3%83%ADTV%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%97%E3%81%9F%E7%B5%90%E6%9E%9C%E3%80%81%E9%80%A3%E7%B6%9A%E3%81%A7%EF%BC%93%E5%9B%9E%E5%B0%84%E7%B2%BE%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%8Cwww%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E5%8F%B3%E6%89%8B%E3%81%8C%E4%B8%80%E7%95%AA%E6%B0%97%E6%8C%81%E3%81%A1%E3%81%88%E3%81%88%E3%81%AAw&_site=1459&l_url_1=http%3A%2F%2Fwww.j-live.tv%2Findex.php%3Ffamaf1%26age%3D18&_loc=2877&_xuid=xuidx50087db1cbxc73

あいかわらず嘘くさい投稿が並んでますの。
ただ、このサイトであれ?と思ったのは、コメント欄に投稿ボタンが付いてたことですの。

由々しき事態ですの。

投稿ボタンがもし本物なら、コメント欄に並んでる嘘くさいコメントも本物の可能性があるということ。だとすれば、「ネット住民がこんなコメントするわけないですの、ぷぷぷ」っていう、わらわの研ぎ澄まされたネット感覚(笑)が間違っていたということになりますの。 そんなこと、あってはならないのですの。

あるいは、批判コメントが入ることは覚悟の上でのノーガード戦法かもしれなくて、それはそれで、先の展開が楽しすぎる可能性がありましたの。

結論から言うと、ただの嘘サイトでしたの。

コメント欄に適当な文字を入れて送信すると、投稿したコメントが10番目のコメントっぽく表示されるけど、ページを更新したら消えましたの。画面表示をいじって、ふりをしてるだけ。

実際、ボタンを押したときに通信自体をしてなかったし、ソースを見ても、どこに送信するかの情報が見つからなかったですの。ただ、コメント欄を空白で送信しようとすると弾かれたり、むだに芸が細かいですの。

無事、ぜんぶ業者コメントだってわかって、安心したような残念なような。
もっとこう、すごすぎて笑ってしまうような進化も見てみたいですの。 批判コメント書くと、それっぽく絶賛コメントに書き換わるとか。。

集団的自衛権の行使容認が日本を平和にする根拠
http://diamond.jp/articles/-/78832


前回は紙面の関係で書けなかった「根拠」を、さあ書くよっていう記事だそうですの。
国際関係の理論と、すこし歴史的な話も入って来て、おもしろかったですの。なるほどなるほど。

いい記事なのかなと思いましたの。結局、根拠が書いてないことを除けば。

記事のコメント欄でも言われてるけど、中国が非民主主義の国だから危ない、というのと、集団的自衛権で日米同盟を強化すれば安全になるというのは、ぜんぜん別次元の話ですの。

この人じぶんで言ってるけど、「中国は一貫して民主国家ではなかった」その通りですの。だからこそ、なんでいま集団的自衛権なの? という話ですの。

この人の持ってきたグラフを見ると、アジア諸国は着々と民主化の波に乗っていることがわかりますの。それを、この人の持ってきた理論(民主化は戦争のリスクを下げる)に当てはめれば、着々と平和になってきていることがわかりますの。

つまり、「集団的自衛権でもたらされるメリットは薄く、少なくとも緊急の課題ではない」という影の主張が読み取れますの。(素直に言えばいいのに。)

一方で、集団的自衛権のデメリットのほう。これは記事には何も書いてなかったですの。

何が危ないかといえば、「アジアに限らない、世界中のいろんな国々と戦争するはめになるかもしれない」というところですの。アメリカがアジアだけ見てるわけでは無い以上、アメリカの戦争に手を貸すと言うのはそういうことですの。

世界規模のリスクと天秤にかけるのが、対中国の微妙なメリットでは割に合いませんの。


それで、ここまではよくある話なので、あえて取り上げるほどのこともなかったのですけど、最後の段落の、この部分が気になったのですの。
なお、日本の憲法学者が安保法を違憲と言うが、彼らはこうした定量的な国際政治・関係論を知らないのだろう。(中略)国際常識を知らない。国内で立憲主義を主張するより、中国に立憲主義を説いて民主化するように説得した方がいいだろう。
国際関係の前には、自国の憲法はどうでもいい。そういうふうに聞こえますの。

「立憲主義を説いて民主化」と、この人がじぶんで言ってるように、憲法は民主主義を維持するために必要な道具ですの。そのときどきの都合で憲法を曲げることが許されるのなら、その国は民主主義から遠のいていきますの。

簡単にいえば、「中国がやばい」「緊急事態だから細かいことは気にしなくていい」を振りかざしていると、日本自体が中国のような国になりますの。

それがお望みならいいけど、やっぱりこの人じぶんでこう言ってるので、
両方ともに民主主義国だと滅多に戦争しないという意味で、古典的な民主的平和論になる。一方の国が非民主主義だと、戦争のリスクは高まり、双方ともに非民主主義国なら、戦争のリスクはさらに高まる。
お望みでは無いのではないかしらと、思うのですの。

A
安保法案を『違憲だ!違憲だ!』と叫ぶ全ての方へ 「勉強不足です。勉強してください」
http://blogos.com/article/123751/

B
誰か反論のある人? ~安保法案なんて、早く通せ~
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/44694938.html


この2つの記事は、
中身の細かいところを抜けば、以下のような主張になっていますの。

Aの主張:どう見てもおかしいものは解釈で踏み倒してしまっていい
Bの主張:決まりの通りやってるのだから文句言うな

どっちもありだけど、AとBを同じ人が同時に主張してるとなると、ちょっとよくわかんないですの。

強いて言えば、政府はルールを解釈で踏み倒してしまっていいけど、
野党や国民がそれをするのは許さないということですの?

ルール守らない政府に、ルールだから従えと言われても説得力0ですの。


この手のよくわかんないことを見て思い出すのが、

岸博幸さんがダイアモンドの記事で炸裂させてた、
 「憲法解釈は時代に応じて変えていくべきものだから、安保法案はOKにしていい。」
 「でも、徴兵制は憲法でダメって解釈されてるから、起こりえない。大丈夫。」
というミラクル論理ですの。

第11回 安保法制反対で喧伝される“危うさ”は本当か 
http://diamond.jp/articles/-/73911
※たしかこの記事だったとおもうけど、途中から見れなくなってるので不明ですの。


一つの記事内でくらい、矛盾した主張を混ぜ込まないで欲しいというのは置いておくとしても、
(長谷川さんは別記事だけど、ドヤ顔でリンク貼ってるのであうとですの。)

根本的に、一つ「良い方向」にルールを曲げるということは、
無数のルールが「悪い方向」に曲がることも許容しなければいけない、
という認識が薄いんじゃないかなと思いますの。

良いか悪いか、必要だったか、やむを得なかったか、
というのは主観的な判断にしか過ぎないので、人が変われば違う見方になりますの。
そこに残るのはただ、「ルールを曲げた」という事実だけですの。

曲がることのあるルールに誰が従うのか、曲がることのあるルールで何が保証されるのか。
人間の価値が、良くも悪くも成長していくことにあるとすれば、
ルールの価値は、良くも悪くも変わらないことにありますの。

Scalaがダメなのはそういうところですの。

たまには気軽なことを書こうとおもったら、ものすごく疲れることになりましたの。疲れてしまったので、タイトルは適当になってしまいましたの。

事の始まりは、こんな記事があったので、

 女性ゲームキャラの胸揺れ、英ガーディアン紙が現実的な表現求める
 http://www.gamespark.jp/article/2015/01/24/54418.html

本題のむずかしい問題をスルーして、技術的なところから茶々をいれてみたら面白いかなって。そういう、余計なことを考えたせいですの。

記事で言われてるのが、「バイオハザード HDリマスター版(PS4)」の主人公の話だったのですの。とりあえずどうなってるのかプレイ動画で確認しようとしたのですけど、バイオハザードなのですの。

しかもシリーズ中で一番怖いっていわれてる、最初のバイオハザードですの。

ホラーだから画面も暗いわけですの。自分で動かしてないから細かいところ全然わからないわけですの。ゾンビでてきますの。見えないからフルスクリーンにして凝視してると、だんだん涙が出そうになってきますの。その間、主人公はぜんぜん見えないのに、ゾンビ急にアップになってものすごく怖いわけですの。

そんなおそろしい思いをすること1時間、ようやくこの動画の0:07くらいのところで発見しましたの。

 【PS4】バイオハザードHDリマスター ジル編 PART2 ~セーブ部屋到着
 https://www.youtube.com/watch?v=vy4UJlGfDYY

なんていうか、微妙すぎですのー!

元記事の女性軽視って、「性的な対象として設定しないで欲しい」みたいな意味だとおもってたのですけど、これはむしろダイレクトに軽視というか、手抜きというか。

擬音で書くと、ぴょこんぴょこんみたいな。

なんで揺らそうとおもったというか、やるならもうちょっと頑張って欲しいですのというか。そもそもPS4版だけの要素で、GC版だと無いそうですの。

たぶん、ボーンは両胸で1つで、動きは手打ちなんだと思いますの。PS4なら性能すごいんだから、ボーンは1つずつ割り当てて、モーションキャプチャーか物理演算のどちらかは使えばよかったのにって思いますの。(*)


本当は、書こうとおもってた結論は、

「柔らかいものを揺らすっていうのは技術的にも、処理能力的にも大変なことなのですの。だから、せっかく揺らすからには、ちょっと多めに揺らしちゃおうっていうのは仕方がないことなのですの。だって、カメラをアップにしないとわからないような微妙な効果なら、削って他の要素を作りこんだ方が合理的ですの。」

というようなことだったのですけど、実物が想像とぜんぜん違ってたせいで話が真逆になってしまいましたの。。

元はといえば、元記事の記者さんが「毛布の中で2人のハゲ頭の男がレスリング」とかおもしろいこと言うからいけないのですの! それどんな体験談なんですの。
というか、この記者さんがどんな遊び方してたのかが謎すぎますの。


(*) 偉い人にあとから「胸揺れ追加で」とか言われたのかしら。。

 はんぶんメモですの。

 Licensing: Frequently Asked Questions
 https://www.virtualbox.org/wiki/Licensing_FAQ

 (ゆるゆる訳)

(略)この情報は、ライセンス簡略化のためにパッケージが再設計されたVirtualBox 4.0以降において正しいものです。

1.VirtualBoxは、どのようなライセンスの下でリリースされていますか?
 基本パッケージ(拡張パック以外のすべて)はGNU一般公衆利用許諾契約書V2の下でリリースされています。基本的に、これはVirtualBoxの完全なソースコードを入手することを意味し、あなたはそれを配布し、変更することができます。ただし、あなたもGPLの下ですべての修正を提供することを条件とします。 
 あなたが拡張パックで機能の追加をしたい場合には、個人的な使用または評価目的のために無償でそれらを使用することができます。両方のパッケージ(VirtualBox基本パッケージと、VirtualBox拡張パック)は、ダウンロードページから入手可能です。

 (訳ここまで)

 ということなので、VirtualBoxは、4.0以降で基本パッケージだけを使うならGPL(v2)が適用になるので、つまり、無償で商用利用が出来るみたいですの。

 ふだん、VMwareの無償版を使ってたのですけど、これは商用利用が出来ないのですの。VMwareはGPUの扱いに強くて、3Dゲーム動かしたりするのに良かったのですの。でも、今回動かしたくなったのはお仕事ソフトなので、それなら大差は無いはずですの。

 というわけで、ひさしぶりにVirtualBoxを使ってみようかなってお話ですの。
 VirtualBoxはまだ、入れてすらいないですの。

 イメージとしては、開発環境とかテスト環境とか、たくさんそろえておいて、いつでも必要なときに環境がじゃじゃーんって出てくるっていうのをやってみたいのですの。出来たらすごく嬉しいですの。世の中ばら色ですの。

 でも、言うはやすし、仮想OS関係はライセンスが複雑で絶対大変なのですの。。

 新年最初になに書こうかなって、いろいろ考えましたの。
 結局いつもどおりですの。

 Amazon倉庫で身分を隠して働いた記者が語る「過酷な労働環境」とは?
 http://gigazine.net/news/20140415-amazon-quitting-program/

 Amazonが倉庫ロボット1万5000台を導入し最大1000億円の人件費削減へ
 http://gigazine.net/news/20141202-amazon-kiva-robot/

 この二つの記事を順に読むと、すごくおもしろい流れになっていますの。

 一つ目の記事では、「Amazonの倉庫での労働は、低賃金で、しかも極限まで効率を高めた機械的(=非人間的)な労働だった」ということが書いてありますの。

 二つ目の記事では、それが「ほとんど機械に置き換わって、しかも前より安くなった」ということが書いてありますの。

 そう、機械的な作業を人間にやらせるから非人間的なのであって、機械にやらせてしまえばよかったのですの。めでたしめでたしですの。

 これの何がおもしろいのかというと、次のような道順が現実にあることが確定したところですの。

 「効率を高めた機械的な労働」
  ↓
 「機械化」

 つまり、おそらくどんなタイプの労働であっても、うっかり「効率を高めた機械的な労働」という段階に達した時点で、それは機械化されますの。労働者の側から見れば、失業するということですの。

 機械でやるほうが高くつく、という最後の砦も、機械的な作業を機械化することのハードルの低さの前には、砂のお城もいいところですの。さらさら。

 ところで、最近の企業がよくやる「コア業務だけを正社員(すくない)に任せて、末端の実働部隊は非正規社員(たくさん)に任せる」という体制は、見方を変えれば「機械的な労働と、そうでない労働の選別」とも言えますの。正社員がやっていた仕事でも、単純作業として抜き出せるものは非正規社員に投げようという話ですの。

 でも、単純作業として抜き出して非正規社員に投げた労働は、手順が洗練されるにつれ、その先で、さらに純粋な単純作業として機械に投げられていたりするのですの。

 すると全体としては、「正社員の労働が、非正規社員を経由して機械にたどり着く」という道順が出来上がっていることになりますの。

 いつまでも、あると思うな親と金。
 そんな言葉のうしろに、さらっと「労働(仕事)」まで増えてしまった世界で労働するのは、あんまり心の安らぎにはならないですの。

元旦から高熱で、きょう明日からやっと2015年がはじまりそうなかんじのわらわですの。

というわけで、遅ればせながら2015年あけましておめでとうございますの。ことしもどうか、よろしくお願いいたしますの。