言葉って大切だなって改めて思ったのですの。
北斗の拳は、けっこうそういうシーンが多くて好きですの。そう、北斗の拳。

 「北斗の拳」に学ぶ - 第12巻 P182~189 無抵抗主義の村 -
 http://nokan2000.nobody.jp/hokuto/page02.html
 画像が見やすかったから貼らせていただいただけで、特にこのページに対して何か意見があるわけでは無いですの。

このシーン、
 A:「抵抗は相手の力を生みます、力は我われ弱い者からすべてを奪うでしょう」
がよく引用されてるようなのですけど、

ここで注目したいのは、直後の、こっちの台詞ですの。
 B:「無抵抗は我われ弱者の自分を守るべき唯一の武器なのです」

Aだけなら、さすがのラオウさまも無傷では帰れなかったはずですの。

当然のことを言ってるだけで、つっこめる部分が無いからですの。
というか、言い方を変えれば「弱者は強者にすべてを奪われる」「戦いが実力を高める」と言ってるのと同じで、ラオウさまの理屈そのままですの。

でもBは違いますの。
「弱者が武器によって、自分を守ることが出来る」と言ってますの。
さらに言えば、
「この武器があれば、弱者も強者に負けない力を持てる」
と言ってるわけですの。

弱者は村人で、強者はラオウさまなので、つまりは、
ラオウさまの目の前で「俺たちはお前には負けねえ」って言ってるわけですの。
ここまで挑発されたら、ラオウさまじゃなくてもボコボコにすると思いますの。

で、じゃあどうすればよかったのかと言うと、
Bの台詞をこう言い換えたらよかったと思うのですの。

「我われ弱者は、強者にひれ伏すしかないのです」と。

たったそれだけで、村長は死ななくて済んだかもしれませんの。たぶん。
心の中とか、村人に説くときにどういう言葉を使おうが、それは自由ですの。でも、話す相手によって言葉は選ばないとトラブルになりますの。

という話ですの。

まあ、そもそも部下が困ってラオウさまを呼んだのは、「無抵抗でやりづらかった」からではなくて、「薄気味悪かった」からなので、その意味でも、軽々しく「これが理由さ!」なんて言ってしまうことは悪手だったと言えそうですの。

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