最近話題の日本学術会議ですの。

任命拒否がニュースになってふむふむと思っていたら、最近ネット上では、なんだか日本学術会議そのものへのバッシングが渦巻いていて、中には「日本学術会議?聞いたこともない、何やってるかもわからないうさんくさそうな団体!」みたいなことを言ってる方までいて困惑ですの。

超有名な団体だと思うのですけど、もしかしていま話題になってるのって、わらわが知ってるのと違う団体なのですの? と思って調べてみると、やっぱりあの日本学術会議で合ってるようですの。

○○が学会で発表された、みたいなニュースをたまに見ると思うのですけど、こういうときのいわゆる「学会」は、基本的には単に学会を自称している団体ではなくて、一定の要件の基に公的に学会として認められた団体で、それを指定したりしているのが日本学術会議なのですの。

この自称なのか公認なのか、一般の人にはどうでもいいと思われるかもしれないのですけど、意外とそうでもなくて。よく、真偽不明の健康食品の宣伝で「学会が認めた(○○学会)」とか「専門家の○○博士も推奨(○○学会所属)」とかうたってるものがあると思うのですけど、これが本当に意味のある記載なのかどうかは、まずその学会の名前で調べて「日本学術会議から指定を受けているか」を確認するだけで、あやしいものの大部分は弾けるのですの。

指定を受けていない場合、まともな研究実態が無かったり、単純にその商品の販売会社が作って学会を自称しているだけの団体だったりする可能性が高いのですの。

もちろん、実在の公認学会を騙るタイプのより悪質な宣伝もたまにあるのですけど、これは明らかに犯罪として取り締まれるのに対して、自称学会に推奨させるのは基本的には取り締まれなくて、だからこそ多用もされやすいので、ここの違いはけっこう大事なのですの。

 

簡単に紹介をしたところで、本題ですの。

昔、公選制だった日本学術会議を、いまの推薦+任命制に法改正しようとしたときの国会の内容ですの。

国会会議録検索システム
第98回国会 参議院 文教委員会 第8号 昭和58年5月12日
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=109815077X00819830512

ニュースにも取り上げられていて有名なのは、当時の中曽根総理が「形式的な任命」だと断言している308とかなのですけど、他にも、いま言われているような批判の多くにちょっと認識違いがあることがわかる内容だと思いますの。

そしてこれは大事なことなのに、あまり明記していない記事が多いのですけど、国会でのこのやりとりは

・法改正の前に、これから法改正する内容についての話し合いで
・想定される問題点について確認されて
・そうはならないから大丈夫。だからこの内容でいかせて欲しい

というものなので、こういうやり取りを無視することが許されてしまうと、今後のあらゆる立法、法改正で「あえてあいまいな書き方をした法案を出して、具体的な内容を確認されたら嘘の回答をして、とにかく国会さえ乗り切って成立させてしまえばなんでもあり」ということが通ることになりますの。

たとえば、パンに麺を挟んだ料理を「やきそばパン」と呼ぶという法案を出して、「その法案だと、焼きうどんやナポリタンを挟んだパンもやきそばパンになってしまいませんか?」と聞かれて「そういうことは考えてません。あくまでちょっとした手続きや、表記上の問題であって、ここでいう麺には焼きうどんやナポリタンなど、やきそば以外のものは含まないと考えています」という回答の末に、この法律が成立したあとで、全ての「パンに麺を挟んだ料理」(焼きうどんやナポリタンを含む)は「やきそばパン」であるとして、「そりゃ法律にそう書いてありますからねえ、うどんもナポリタンも麺である以上、法的に当然です」と言い張るのは極めておかしいことだけれど、国会でのやり取りを無視していいのであれば「あり」になってしまいますの。

そして、それが「あり」だとすれば、立法、法改正にあたって、国会で内容について確認する意味というのはなくなって、究極的には国会自体がもう議論というより、みんなでじっと法案の記載だけを見つめて、いかに穴を潰すかという作業がメインの場になってしまうことを意味しますの。

なぜなら、いくら大枠や方向性について議論を深めても、法案への落とし方が甘ければいつでも簡単に真逆の法律にさえなってしまうのなら、おちおち大きな話に時間を割いていられないからですの。

(法案の穴埋めの実務は官僚に任せるとしても、その穴埋めの重要度が跳ね上がる以上、内容は今以上に国会議員が厳重にチェックしなければいけないし、当然、法案の純粋な文量も指数関数的に増えるので、ささいな部分で意見が分かれて本題が進まないという状態も増えますの)

ただ、そういう状況はさすがに非生産的だと思いますの。やはり国会議員には、枝葉より幹の話に力を割いてほしいとおもいますの。

結局のところ、現在の人語で書かれた法律というのはそれ単体での表現力には限界があるので、立法趣旨や、それを裏付けるこういった公的な回答、やりとりもきちんと踏まえた上で、運用していくというのが合理的だと思いますの。(本当に、焼きうどんパンがやきそばパンになりかねないので、、)

ましてや、これまでそういう運用をしてきて、その前提で法律を含むルールが決まっているという状態で、「前例にとらわれない」を免罪符に、急に法律以外はぜんぶ無視!というのは許されないことですの。

もしそういう形にしたいのであれば、それはそれで、まず既存の全ての法律についてそれでも問題がないかを精査して、記載が足りていないところがあれば、それを補う法改正をして準備を整えて、きちんと合意をとった上で「これからは法律の文面以外の、立法趣旨を含むすべての事情は法解釈の際に使わないことにする」ということを宣言して、根本的な国会のあり方から変えていく必要がありますの。

民主主義では手続きが大事。
それを省略したければ独裁国家になるしかないですの。