願いや悩みは、いつでも前提の上にありますの。

「つい嘘を付いてしまう癖を治したい」という人がいたとしますの。
それを治せるかどうかはわからないけれど、この人が「嘘をつくのは悪いこと」という前提を持っていることは、ほぼ事実ですの。

「頑張ってるのになかなか成功出来ない」という人は、「成功することは良いこと」という前提を持っているし、

「こんなにアタックしてるのに、あの人が振り向いてくれない」という人は、もちろん「あの人が振り向いてくれたら嬉しい」という前提がありますの。
・嘘をつくのは悪いこと
・成功することは良いこと
・あの人が振り向いてくれたら嬉しい 
こういう前提は大事だけれど、あまりにも大事すぎて、”超大事”みたいな、アバウトなラベルを付けて押入れにポイして忘れ去られる運命にありますの。

いくら大事といっても優先順位はあるはずなのに、忘れていれば忘れているほど、それに気がつけず、無条件に行動を縛りますの。だって超大事なんだもん。

だから、ときどきは。特に、今やっていることがうまく行っていないときには、その行動が何を前提にしているのか思い出すことで、あらためて「その前提はそこまで大事なものだっけ?」と、再検討するのも大事かなと思いますの。

その前提を守ることの利益と、そのための行動が生むデメリットを天秤にかけて、必要なら前提の方を捨ててしまってもいいのかな、と思うのですの。

ちょっとくらい嘘ついてもいいし、成功しなくてもいいし、あの人じゃなくてその人でもいいかもしれないし。

建設業界の人手不足を逆手に大流行り!文房具屋から脱皮したリノベーション企業
http://diamond.jp/articles/-/80043

言ってることはわかるけど、ものすごくもやもやしましたの。

何に引っかかったのか考えてみると、たぶんそれは、
「顧客と営業がノリノリで何かしてる」
という恐怖感でしたの。

これから書くことは、この会社がどうというよりも、そこから連想したITの世界の話ですの。だから、この会社はうまく行っていて、誰も泣いていないかもしれませんの。

さて、この嫌さを式に表すと、こうなりますの。
顧客の自由さ×営業の節操の無さ=仕事の大変さ
顧客がハッキリこれを頼むと言ってくれて(1)、
営業が過不足なくそれをまとめる場合(1)、
1×1で、仕事の大変さは最小(1)ですの。

一方、
ふわっとした頼み方をする顧客に(10)、
夢見がちな営業がついた場合(10)、
10×10で、仕事の大変さは100になりますの。

企業にとって仕事が増えるのはいいことなので、
ここまでは、本当は問題は無いのですの。本当は。

どこに嫌さが生まれるかというと、
顧客と営業(と経営者)は、上の式の掛け算のところを足し算で考えている節があることですの。
顧客の自由さ営業の節操の無さ=仕事の大変さ
この場合、
1×1=1に対して、2のコストで、
10×10=100に対して、20のコストで進めることになるので、
前者はいいとしても、後者は実作業を行う部署が死ぬことになりますの。

また、出来上がった仕事に正確性を保証する必要がある場合、大変さはさらに膨らんで、次の式のようになると思っていますの。
仕事の大変さ×仕事の大変さ=正確性を保証する大変さ
10×10=100の仕事の正確性を保証するには、
100×100=10000のコストが本来必要だということですの。

この大変さも、顧客と営業(と経営者)…つまり、実作業を行わない人たちは足し算(1.5~2倍くらい)で考えている節がありますの。

2倍で考えてもらえたとしても、40。
10000の大変さを持つ仕事を40のコストで進めるためには、
9960は不幸で埋めなくてはならないのですの。

それが
「顧客と営業がノリノリで何かしてる」
という恐怖感ですの。

言葉って大切だなって改めて思ったのですの。
北斗の拳は、けっこうそういうシーンが多くて好きですの。そう、北斗の拳。

 「北斗の拳」に学ぶ - 第12巻 P182~189 無抵抗主義の村 -
 http://nokan2000.nobody.jp/hokuto/page02.html
 画像が見やすかったから貼らせていただいただけで、特にこのページに対して何か意見があるわけでは無いですの。

このシーン、
 A:「抵抗は相手の力を生みます、力は我われ弱い者からすべてを奪うでしょう」
がよく引用されてるようなのですけど、

ここで注目したいのは、直後の、こっちの台詞ですの。
 B:「無抵抗は我われ弱者の自分を守るべき唯一の武器なのです」

Aだけなら、さすがのラオウさまも無傷では帰れなかったはずですの。

当然のことを言ってるだけで、つっこめる部分が無いからですの。
というか、言い方を変えれば「弱者は強者にすべてを奪われる」「戦いが実力を高める」と言ってるのと同じで、ラオウさまの理屈そのままですの。

でもBは違いますの。
「弱者が武器によって、自分を守ることが出来る」と言ってますの。
さらに言えば、
「この武器があれば、弱者も強者に負けない力を持てる」
と言ってるわけですの。

弱者は村人で、強者はラオウさまなので、つまりは、
ラオウさまの目の前で「俺たちはお前には負けねえ」って言ってるわけですの。
ここまで挑発されたら、ラオウさまじゃなくてもボコボコにすると思いますの。

で、じゃあどうすればよかったのかと言うと、
Bの台詞をこう言い換えたらよかったと思うのですの。

「我われ弱者は、強者にひれ伏すしかないのです」と。

たったそれだけで、村長は死ななくて済んだかもしれませんの。たぶん。
心の中とか、村人に説くときにどういう言葉を使おうが、それは自由ですの。でも、話す相手によって言葉は選ばないとトラブルになりますの。

という話ですの。

まあ、そもそも部下が困ってラオウさまを呼んだのは、「無抵抗でやりづらかった」からではなくて、「薄気味悪かった」からなので、その意味でも、軽々しく「これが理由さ!」なんて言ってしまうことは悪手だったと言えそうですの。