A
安保法案を『違憲だ!違憲だ!』と叫ぶ全ての方へ 「勉強不足です。勉強してください」
http://blogos.com/article/123751/

B
誰か反論のある人? ~安保法案なんて、早く通せ~
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/44694938.html


この2つの記事は、
中身の細かいところを抜けば、以下のような主張になっていますの。

Aの主張:どう見てもおかしいものは解釈で踏み倒してしまっていい
Bの主張:決まりの通りやってるのだから文句言うな

どっちもありだけど、AとBを同じ人が同時に主張してるとなると、ちょっとよくわかんないですの。

強いて言えば、政府はルールを解釈で踏み倒してしまっていいけど、
野党や国民がそれをするのは許さないということですの?

ルール守らない政府に、ルールだから従えと言われても説得力0ですの。


この手のよくわかんないことを見て思い出すのが、

岸博幸さんがダイアモンドの記事で炸裂させてた、
 「憲法解釈は時代に応じて変えていくべきものだから、安保法案はOKにしていい。」
 「でも、徴兵制は憲法でダメって解釈されてるから、起こりえない。大丈夫。」
というミラクル論理ですの。

第11回 安保法制反対で喧伝される“危うさ”は本当か 
http://diamond.jp/articles/-/73911
※たしかこの記事だったとおもうけど、途中から見れなくなってるので不明ですの。


一つの記事内でくらい、矛盾した主張を混ぜ込まないで欲しいというのは置いておくとしても、
(長谷川さんは別記事だけど、ドヤ顔でリンク貼ってるのであうとですの。)

根本的に、一つ「良い方向」にルールを曲げるということは、
無数のルールが「悪い方向」に曲がることも許容しなければいけない、
という認識が薄いんじゃないかなと思いますの。

良いか悪いか、必要だったか、やむを得なかったか、
というのは主観的な判断にしか過ぎないので、人が変われば違う見方になりますの。
そこに残るのはただ、「ルールを曲げた」という事実だけですの。

曲がることのあるルールに誰が従うのか、曲がることのあるルールで何が保証されるのか。
人間の価値が、良くも悪くも成長していくことにあるとすれば、
ルールの価値は、良くも悪くも変わらないことにありますの。

Scalaがダメなのはそういうところですの。

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