権利を主張するならまず義務を果たせ、という人がよくいるけれど、その素朴な考え方はいつでも正しいわけではないですの。こと、個と国の関係においては。

わらわがいて、あなたがいる。わらわがあなたから100円もらおうとするとき、わらわはあなたに100円分の価値を渡さなければいけない。これが、個と個の間の取引の考え方。

国というのが、大きな権力を持った個、つまり国王と同義だった中世の時代は、この考え方でも間違ってはいなかったと言えますの。でも今は中世ではないのですの。

ちいさな畑を持つ10人が、それぞれいったん自分の畑を持つ権利を放棄して、一つの大きな畑を共同管理することで効率化を図ろうというのが、近代的な国と個の関係。

当然のこととして、もし共同管理することにメリットがないのであれば、ちいさな畑のままやっていればいいわけですの。繰り返しになるけれど、メリットがあるからやっているのですの。

メリットがあるということは、言い換えれば「個が国に渡すものよりも、国が個に返すもののほうが大きくなる」ということですの。国に対して、個は一方的にメリットを受け取っていればよく、逆にそうでなくなった瞬間、存在価値が無くなってしまうのが国ですの。

そして、メリットと引き換えに個が国に渡しているものは何かといえば、最たるものは「何者にも従わない権利」ですの。義務の形に言い換えれば「国に従う義務」であり、法治国家であれば、それはつまり「法を守る義務」ということですの。(ちなみに納税も、法を守る義務の中のひとつですの)

だから、警察や裁判所から逃げ回っているような状態でもなければ、国に対しての義務は十分に果たされていることになりますの。あとは、国がちゃんとやっているかどうかチェックして、問題があれば選挙を通じて正すのが監督者としての義務といえば、義務ですの。

それだけ? と思う人は、突然しらない人が家に入ってきて、あなたは今から私が決めたオレオレ法律に従ってもらいます。従わなければ独自のオレオレ罰則を与えますと言われる状況を想像してみて欲しいですの。

生まれたときからその中にいると意識することが無いけれど「ある法律に従うことを受け入れる」ということは、内容次第ではあるけれど、本質的に、生殺与奪の権利を他人に渡すということ。それは、軽いものでは無いはずですの。

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