下書き発掘計画ですの。
くわしくはひとつまえの投稿(運ゲー時代の所得の再分配 収益機会編)をどうぞですの。

1年前の下書きそのままだけど、この章だけは単体でまとまってたのでそのまま出してしまいますの。たぶん、このシリーズの本題は全部この章に入ってますの。



社会が未成熟で、物不足を解消するのが至上命題だった時代には、商品を作る前にはっきりと需要が存在していて、それに向けて商品を送り出すだけでよかったのですの。

物不足が解消されると、安さや質の良さで競争をするようになりましたの。でも、まだまだ、目指すべき目標ははっきりしていましたの。

でも、現代は、そういう改良競争の結果、単純な技術改良では差別化が出来なくなった商品が増えて、消費者の側も、必ずしも安さや質の良さといった基準で商品を選ばなくなってしまったのですの。

一言で言えば、提案の時代。
売れるかどうかわからないものを作って、市場に投入し、社運を賭けたくじ引きを繰り返す時代の始まりですの。

この時代の特徴は、挑戦する人と、安定志向の人の住み分けが曖昧で、全員が半強制的に挑戦を強いられて、みんなでアイデアの弾幕射撃を行うところにありますの。運良く誰かがヒットしたら、訴えられない程度に模倣商品を出したりしておこぼれにあずかりつつ、自分もヒットすることを祈ってアイデアを送り出し続ける。その繰り返しですの。

運は一人にとっては確率でも、社会全体で見れば割合ですの。だから、一つ一つが不安定なくじ引きの集まりだとしても、社会は発展し続けることが出来ますの。

だけど、くじ引きが当たらなくてリタイアしてしまう人が増えると、それは社会の発展にとって致命傷になりますの。それを防ぐためには、運良くヒット商品を出せた人からお金をあずかって、そうでない人たちに配るのが合理的ですの。

「なんだと? 努力で人より二倍多く石炭を集めたんだから、給金も二倍、もちろん全部ワシのものじゃー」それはそうですの。それならほんとそうですの。

でも、今は同じような努力を重ねた人たちの中で、運良くヒットしたかどうかで何千倍もの差が付く世界ですの。もし何千倍が何百倍になったところで、努力した分は既に十分過ぎるほど報われているんじゃないですの?って思うのですの。

なにより、成功も失敗も含めての、ある種の社会的チームプレーなので、成功できなかった人たちも、成功に対して間接的に貢献したと考えるべきなのですの。

どういうことかというと、例えば、1%の確率で成功が見込める挑戦で成功者を100人出すためには、挑戦者を1万人用意する必要があるからですの。終わってみれば9900人の失敗者は無駄に見えるかも知れないけれど、事前に誰が成功するかわからない以上は、挑戦した1万人全員が、成功者を出すために欠かせない存在なのですの。

(※例なので確率のばらつきは無視ですの)

0 コメント: