機能停止していたAIイラストメーカー「mimic」が今後の展開を表明、悪用対策を盛り込み絵師が使いやすくなる方針でかなり好評な模様 

本題はどうでもいいのですの。
下の方の論争で、元プログラマーという方が概ね正論を説き続けているのに理解されず、果ては微妙にズレた批判で袋叩きにされていたのがおもしろいなと思ったのですの。

この方の意見は一貫して「AIの能力に制限を設けるのは悪手、または無駄」というものですの。理由としては、個別のサービスや国単位で制限をかけたところで、同等の技術を持って制限をかけないところが他に出てくることまで防ぐのは現実的ではなく、出てくれば結局みんなそれを使い始めるから意味がないということですの。

対して、この方への批判意見は、絵師が困ったり職を失ったりするかもしれないのに制限をかけることに反対するなんて、絵師や絵を軽視している。失礼だし、人の心が無いのか、というものですの。

正直、意見と呼べるかもあやしい感情的な反発ですの。ただ、悲しいことに、世の中にこういった考え方や、それに基づいた批判は溢れていますの。

そして、これを一撃で斬るのが、元プログラマーさんの「お気持ちは分かります。でも技術の進歩は止まらない。」という正確無比の一言ですの。すき。

例えば、移動に馬や馬車を使う文化や、それに関わる職は、自動車の発明・発達で甚大なダメージを負いましたの。しかし、だから自動車は発明すべきではなかった、あるいは、規制をかけて馬や馬車が対抗出来る程度まで不便にすべきだった、なんて言う人はもはや現代にはいないし、そんなことを実行することも不可能だったわけですの。

アメリカが自動車に規制をかければ、フランスが覇権を取る。アメリカとフランスが規制をかければ、イギリスが覇権を取る。先進国が規制をかければ後進国が覇権を取るし、全ての国が規制をかければ闇でマフィアかなにかが覇権を取る。マフィアかなにかが自重すれば、もっと躊躇の無いなにかが覇権を取る。もっとも、マフィアが自重してくれるのならの話ですの。

実際に、蒸気自動車の時代、馬車業者の保護のために自動車に規制をかけたイギリスは、自動車産業でしばらく他国に遅れを取る結果となりましたの。それで馬車が守れたかと言えば結局無理だったわけですの(*1)

技術の進歩を止めることが出来る、という誤った前提に立つ限り、議論も、そこから導き出される正解も誤ったものにしかならず、技術の進歩を止めることは不可能、という前提の上に立って初めて、正しい議論は始まり、まったく別の風景が見えてくるのですの。

すなわち、技術が進歩した先の世界で、どう生きるかということですの。
例えば、こうですの。

1.AIとの競合を避けて転職する
2.センスを活かして、AIに良い絵を描かせる職人になる
3.趣味や情操教育のための、絵の先生になる
4.安価に高速でAIが絵を生成する世界で、AIに描けない絵を追求する
5.絵の知識を活かして、AIの能力を高めるためのアドバイザーになる

需要の大部分がAIに取られるとすれば、ほとんどの人は1を選ばざるを得ないはずですの。その場合、いかに早く見切りをつけるかが分かれ目になると思いますの。あるいは、今の絵師需要とは比較にならないほどパイは少ないながら、2や3で間接的に生き残ることを目指しても良いし、自信があれば4や5でも。

ここで重要なのは、この中でどの選択肢を取るのが良いのかということではなくて、そもそも取るべき選択肢の種類がガラッと変わるということであり、それに一刻も早く気がつく必要があるということですの。

納得できない人には最後にもう一度、この言葉を贈りますの。
「お気持ちは分かります。でも技術の進歩は止まらない。」


*1) もちろん、現代まで規制し続けていたというわけでは無いけれど、続けていたら衰退して国ごと滅んでいてもおかしくないので、現実的に、馬車のためにそこまで出来ないですの

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