FireFoxのソース画面では、<!要素>という書き方は怒られてしまいますの。
タコって。

タコなコメントとは言うものの、コメントとしては機能していないようですの。たぶん無効なタグ扱いですの。

ソースはこの辺のようですの。(FireFoxの開発or翻訳リポジトリっぽい)
https://hg.mozilla.org/l10n-central/ja/file/default/dom/chrome/layout/htmlparser.properties

ここによれば、他にも「タコな文書型宣言が見つかりました」もあるようですの。

↓遭遇した方のブログ

タコな文書型宣言(爆笑)
https://blogs.yahoo.co.jp/katsutoshi_maita/31904592.html

UnityのSceneManagerを使おうとしたら、LoadSceneとかとか、必要なメソッドがどうしても使えなかったのですの。

もちろんusing UnityEngine.SceneManagement;は書いてるのですの、それじゃないんですの。なんなんですのいらいら。

2時間くらい悩んでコーヒー飲んで戻ってきて、ふと英語で検索してみようって思ったのですの。

http://answers.unity3d.com/questions/1224144/scenemanager-does-not-contain-a-definition-for-loa-1.html
そしたらこれを見つけて、思い出したのですの。

SceneManagerって名前の自作クラスが、アセット内にあったことに。。
どうりでいくら調べてもわからないわけですの。


たしかに、Unityのデフォルトのクラス群?の中には、SceneManagerを使っているものもあって。その記述をコピペして来ても動かないから変だなとは思ったのですの。

同名のクラスがアセット内にある場合、いくらusing UnityEngine.SceneManagement;していても、アセット内のクラスの方が読まれてしまうので、もし書くならUnityEngine.SceneManagement.SceneManagerとでもしないといけなかったのですの。

これって、トラブルになったもので検索しても出てこないから、忘れた頃に定期的にはまりそうでおそろしいですの。 。ぶるぶる。

あまりのことに、Unityの再インストールまでしてしまったですの。

「結婚宣言」で大炎上!アイドルに禁欲を押し付ける日本の男の異常性
http://diamond.jp/articles/-/132690

この記事を読んでいたら、ヤマトの過重労働の記事を思い出しましたの。


「アマゾン多過ぎ」ヤマトドライバーから悲鳴続出、「利便性」が生んだ過酷な実態
https://www.bengo4.com/internet/n_5530/


ヤマトの記事は、消費者に責任があるような話になっていますの。
でもヤマトの現場が忙しいのは、消費者のせいでもAmazonのせいでもなくて、Amazonからの仕事を受けると決めたヤマトの経営者の責任ですの。

一方、アイドルの記事ではファンが悪いような話になっていますの。
これも同じで、結婚宣言したアイドルが炎上するのは、ファンのせいでも事務所のせいでもなくて、アイドル本人の責任ですの。

どちらも、商品(サービス)を買った消費者のほうに責任を求めているけど、それは間違った考え方ですの。合法的に売ってるものを買っている限り、消費者に責任は問えないですの。

この件が非難されるのは、恋愛禁止のアイドルって書いてある商品を注文したら、代金を振り込んだあとに、表示と違う商品が届いて、しかも返品・返金不可というところですの。

初めから、プライベートで彼氏がいるアイドルって書いてあれば、なにも問題はなかったのですの。

記事の主張が通るなら、ヨーロッパで、発酵禁止の大豆って書いてある商品を注文したら納豆が届いて、返品・返金を断られて怒ってるお客さんに、納豆という健康食品を理解しないヨーロッパ人の異常性とか言って非難するのも通ることになりますの。

消費者の嗜好は人の数だけ色々にあるのだから、そこに善悪は無いですの。
売り手は売りたくない商品があれば、売らないことも出来ますの。
ただ、表示と違う商品を売るのは悪ですの。

ちなみに、納豆も大豆も大好きですの。

稲田防衛相「教育勅語の核の部分は取り戻すべき」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170308/k10010903641000.html

核の部分の前に、教育勅語ってしらなかったので調べてみたのですの。

でも、もともとの文章が古文みたいでぜんぜんわからなかったのですの。現代語訳を探したら、いろんな訳があってまずどれが正解なのか。現代人には難しかったですの。

だから、いくつか見比べてなんとなくの把握なのですけど、

これは結局、王様が民に対して「こういう民でありなさい、そして王家を守りなさい」ってつぶやいてるものだと思うのですの。強いて言えば、それが核だと思いますの。

教育勅語いいところもある説で出てくる「親に孝行、兄弟なかよく」みたいなものは、あくまで、この「こういう民でありなさい」の内容の話ですの。

大前提が王と民の関係で、そういう文脈になっていること自体が現代ではアウトなので、部分的にいいこと書いてあるから教育勅語は全て悪いわけではない、っていう理屈は無理がありますの。


たとえば、教育勅語の中には「兄弟」や「遵守」という単語が入っているけれど、よそでそれらの単語を使ったところで、だれも教育勅語の一部だとは思わないし、実際に全く関係ないものですの。

もう少し広げて、「親に孝行」「兄弟なかよく」これも教育勅語とは無関係ですの。

稲田防衛大臣が言った「親孝行や、友だちを大切にすること」これも無関係ですの。

「王様いわく、親孝行で友だちを大切にする民になりなさい」と言う文になってはじめて、教育勅語で言ってたことだよね?となりますの。



もし、たんに「親孝行や、友だちを大切にすること」が大切なのだと思うのなら、そう言えば良いだけですの。教育勅語を出してくる必要はないですの。

必要がないのに、教育勅語を引き合いに出してくるから、王と民の世界に戻したいのか?って思われるのですの。あえて教育勅語を出してきたことで増える要素は、それしか無いからですの。


どうしても「あの文章のような精神」と、まとめて言いたいのなら、最低限「王様が民に言う」というスタイルではない、あたらしい文章にまとめ直したものを持ってくるべきですの。

ただ、どちらにしても、思想を定めた文章が1つあって、みんなでそれに従う…という発想自体が、民主主義の世の中ではナンセンスの極みではありますの。

はみ出してはいけない枠だけ法律で定めるけれども、枠の中をどう生きるかは各個人に委ねる、というのが民主主義であり、その自由さこそが民主主義の力だからですの。

個人の行動を社会のせいにしてはならない。
社会がどうであれ、個人個人が正しいことをすればそれでいいのだ。

と言う主張は、

奴隷制は必要悪だと主張することと、おなじですの。


社会の中で個人が出来ることは限られていますの。
ポケモンを求めて移動する群衆の中に一度入ってしまえば、交通違反だからと道路から出ようとしても、簡単には抜けられないし、一人で人の波に逆らえば怪我をしますの。

社会の流れに反して立ち向かう個人には、大きな負荷がかかりますの。その負荷は本来、みんなが少しづつ負担しなければならない負荷だったものですの。

立ち向かう個人が増えれば、犠牲を出しながらも流れを変えることは出来るかもしれない。けれどそれは、社会のためには尊い犠牲者が必要なのだという発想にほかならないですの。じぶんが進んでその犠牲となると言うのなら止めはしないですの。ただ、他人に対してその役をやれと言うのは、偽善を超えて悪だと思うのですの。

個人は、社会に抗えない。

だから個人がひどい行動をとったとしても、社会がそういう流れなのであれば、責めることは出来ないですの。
たとえ、罰することは出来たとしても。

例えば、いじめを傍観していた人にも罪がある、という主張は無理がありますの。止めに入った結果、いじめの被害者になる可能性があるとすれば、それはもはや、個人に負わせていい負担ではありませんの。警備員を入れるなり、監視カメラをつけるなり、もっと上位の仕組みによって解決すべき問題ですの。

善意の個人は尊いけれど、それを常に犠牲にして社会を成り立たせていたら、当然のこととして、善意の人はいなくなってしまいますの。
そんな世界は生きづらいと思いますの。

そうならないためには、社会がどうであれ、ではなく、まず社会に問題が無いかを徹底的に考えることが先ですの。

個人は、社会に抗えない。しかし、ゆっくりと変えていくことは出来ますの。

A:「まさに今の仕事がそうです!」
B:「実はちょっと、やりたいことがあって!」

あなたはどっち派?


あるいは、こう?
C:「仕事なんてやりたくない!」


A・B・C、どれを選んだ人もいると思いますの。
でも、どれを選んだかは問題ではなくて、大事なのは、いま選ぶために何を考えたかですの。

おそらく、
「いまやっている仕事は、自分にふさわしいものなのかどうか…?」
ということを考えたのでは無いですの?

やりたい仕事は?と聞かれているのに、いまの仕事のことを考えてしまう。
いまの仕事に不満があればあるほど。
「やりたい仕事」なんて素敵なものと対比されて、どんどん今の仕事のアラがみえてくる。

それはすべて自然なことで、
なぜなら、そういうふうに仕向けたいじわるな質問だからですの。

そう、いじわるな質問。
問題は、これとおんなじような質問を、企業。いまの仕事を振ってる張本人が、社員にぽいぽいするということですの。キャリア支援のための参考情報、なんて言って。

なんで社員にいじわるするのか逆に聞きたいですの。

社員の希望を叶えてあげるというのは、企業にとってはとても非合理的でハードルが高いこと。企業が自分の都合で辞令を出すときに、たまたま社員の希望が一致していたらドヤ顔ができる、という程度の話ですの。
なぜなら、お金をもらって苦痛を我慢しにいく、という労働世界観なのだから。

それなら質問を変えて、
「あなたが一番やりたくない仕事はなんですか?」
と聞いて、それを任せることになった場合には申し訳無さそうに頼む、というほうが健全ですの。企業としても、希望を叶えてあげるのは無理でも、地雷を避けてあげるくらいならまだ実現できる可能性がありますの。

そして、この逆パターンの質問こそ、
深く考えれば考えるほど、いまの仕事がマシに思えてくる質問。
日々が幸せになる可能性を秘めた、やさしい質問なのですの。



実は、趣旨自体は前にどこかの記事で書いてあったことですの。
その記事では「期待をもたせて裏切るのはひどい」という感じだったけれど、実際、もっとひどいことのような気がして。なんとなくずっと気になっていてたので、吐き出してみましたの。

どの記事か忘れて見つからなくなってしまったので、もしかしてぜんぜん違ったり、まったく同じだったりすると恥ずかしいですのって思いつつ。。

じわじわ殿様商売になりはじめてきたAmazonにかわって、応援しておきたいヨドバシ.com。

ぱっと見、Amazonよりちょっと割高に見えるのですけど、
10%のポイント還元がほぼ全商品に付いていて、ポイントまで入れるとAmazonよりわずかに安くなってることが多いようですの。

ただ、少し悩むのが、ポイントを使って支払った分にはポイントは付かないという点ですの。

ポイント含めてAmazonとトントンということは、付かないなら割高ということですの。つまり、ポイントを使うときには必ず割高なお買い物になってしまう、、ということは、1ポイントに、1円の価値が実は無いのですの? そして、1ポイントに1円の価値が無いのなら、ポイント含めてAmazonとトントンというのもあやしくなってきますの。どういうことですのー!

これじゃおちおちお買い物も出来ないので、大雑把な計算をしますの。

それぞれ次のような関係だったとして、、
 (1)Amazon価格×1.1=ヨドバシ価格 (*1)
 (2)ヨドバシ商品は必ず10%ポイントがつく
 (3)ポイントで支払った分にはポイントはつかない

これで架空のお買い物をしてみると、、

NIVEAツナ缶
 Amazonで1000円 : ヨドバシでは1100円(110ポイント還元)

ポッキー(生姜味)
 Amazonで100円 : ヨドバシでは110円(11ポイント還元)

この2つをAmazonで買うと、、
 1000+100=1100円が必要ですの

そしてヨドバシで買うと、、
 1100円でツナ缶と110ポイントを受け取ったあと、
 110ポイントを使いきって生姜ポッキーを受け取るので
 1100円が必要ですの

つまり、びっくり!基本的には価格の差はなかったみたいですの。
なにか差がでると思って計算してたので、ほんとうにびっくり。

また、ポイントの還元率が10%で揃ってる限りは、どの商品で貯めて、どの商品で使っても差はないはずなので、いつ貯めて使うかのタイミングを図る必要も特になさそうですの。

まあ、Amazonの価格と必ずしも綺麗に連動してる保証は無いので、一応、はっきりわかるほど高値になってないかは確認したほうがいいかもしれないけれど、それはAmazonにも言えることですの。
1品から送料無料で、届くのがやたら早くて、90日保証までついてるので、基本はヨドバシで、なかったらAmazonっていう流れだと幸せになれそうですの。

Amazonで送料無料にするために、あれこれカートに追加していてそう思いましたの。


(*1)
「10%ポイント還元でAmazonとトントン」と考えると、ヨドバシ価格はAmazon価格×1.1ではなくて、×1.111111…かも?と思ったのですけど、実際にいくつかの商品で価格を比べてみたら、×1.1付近になってたのですの。ポイント込みで微妙に安くなるのは、たぶんそのせいですの。